もうすぐ10年
自分がホッケーという競技と向かい合って、ちょうど10年の節目を迎える。
1998年3月5日。長野市M-Waveで日本で初めての冬季パラリンピック大会が開催された。当時のアイススレッジホッケー日本代表選手の一人と、実父が同じ職場だったことがご縁で、職場の壮行会用ポスターを作成し、そして競技を応援するホームページを立ち上げた。これがきっかけとなり応援する側からチームの一員となり、そしてある時は選手の一員という立場にもなり、はたまた応援をして頂く側になり、そして今は再び応援する側に戻り、友の戦いに一喜一憂している。
同じ頃オリンピックやパラリンピックの会場でボランティアスタッフとして駆け回っていた大学生達と知り合い、ある人とは兄妹という付き合いとなり、ある人とは夫婦となった。それぞれの生活は変わり、立場も変わったけれども、アイススレッジホッケーという競技の熱を浴び、この競技を少しでも長く見つづけたいと思った10年前の気持ちは、今もみんな変わらない。
あっという間の10年だった。スタッフとして何も知らないところからはじめ、アイスホッケーの試合にも足を運びアイホファンと交流を持ち、プレイヤーと語り合い、そしてスタッフやプレイヤーと朝まで飲み、マスクを被った。そうして、自分のホッケーというものに対する、何となくという印象を、確信に変えていった。
岡谷の女子アイスホッケーの選手達とオフィシャルとして接点を持ったことをきっかけに女子の試合を見て、群馬の女子チームに居候するようになったわけだが、女子でも男子でも、スレッジでも、基本は同じ。続けること、続くこと、楽しいこと、楽しむこと。これがなくちゃ、ホッケーは面白くない。
その間、日本代表のレベルは相当に上がった。10年の間に競技を変えるような才能とも出会うことができた。しかし、何人かの選手は競技を離れ、大事な仲間の一人はもうこの世にはいない。そして・・・その間の日本代表の世界的な位置は、上にも下にも動くことはできなかった。
10年という時が経った今年、世界選手権がまたやってくる。前哨戦となったジャパンパラリンピックではホームゲームでありながらカナダ、ノルウェー、アメリカに勝てなかった。ここ数年、国際大会をこの目で見ていないから友の本当のレベルはわからない。でも、正念場であることには間違いない。
でも、10年前、自分達がリンクの中に入れたのは、当時のメンバーのおかげであり、ともに楽しんでいこうという気持ちがあった。だからこれからも、自分にとってリンクが楽しい場所であるために、またリンクへ足を運ぶことになるのだろう。
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