2006.03.05

ネタになってる・・・

12/12に紹介したが、伊香保のホテル松本楼で5月下旬に#33との結婚式をさせていただくことになっている。先日、両家両親を伊香保に招き、打ち合わせを兼ねた食事会を行った。幸い、双方の両親とも会場を気に入ってくれている。食事も、実はふたりとも苦手な料理ばかりなのだがおいしいとのこと。朴訥とした板長さんともお会いしたし、準備はなんとなく進んでいる。

どうせ#87の式である。普通にやっちゃスーパープレイングプロデューサーの名が泣く(爆)とはいえ、相手もあることだし二次会は何度も経験しているものの披露宴となると勝手が違う。そこで若おかみとウエディングプランナーのFさんの力を借りてプランニングしている。Fさんは郡山の人なので、毎回車で伊香保までやってくる。郡山は叔父が住んでいるし子供の頃はよくでかけていた。群馬の山で不思議なご縁なのである。それを聞いてうちの親はよけい安心したらしい。

とはいえ、まだまだ準備は途上なのであるが、ぴのんのHPが更新されている。結構、若おかみの独り言が面白いのだが今回、「5月に結婚式をするお客様」ということで我々のことが紹介されている。

本館・松本楼での結婚式は今回がはじめてとなるそうで、本館スタッフも戸惑いはあると思うが本館であれ、ぴのんであれ若おかみにはいろいろ協力頂いている。また、式とはまったく関係ないのだがぴのんのこれからのプロジェクトについて勝手連としてアドバイス?したりもしている。我々の結婚式についてもプロモーションに使って欲しいと言ってある。でも、いざこうして紹介されるとくすぐったいものがある(笑)本番のプロモーションはどうなることやら(爆)

冒頭、プレイングプロデューサーと書いたが、今回はプレイングディレクターどまり。なんせ、プロデューサー兼主役は#33であるし、若おかみとFさんというスーパーバイザーもいる。みんなの力を出し合い、本番は楽しい式にしたいと思っているところだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.12.12

元気な若おかみ

日曜日のホームタウン・伊香保の温泉街にある旅館、『松本楼』。草津と並び群馬を代表する温泉街の入口にある温泉宿。300年以上の伊香保温泉の歴史を培ってきた老舗の重さはないが、代わりにバリアフリーへの取り組みや洋風の別館の創業など、ソフトで勝負する宿である。

温泉偽装問題以来、宿泊客が激減している伊香保であるが、ようやく持ち直した感がある。女将さんたちも集まって新しい伊香保についてそれぞれが工夫をしているが、『松本楼』の若おかみ、ゆきさんは積極的な人と聞く。大学を卒業しイギリスに留学した経験をどんどん伊香保に持ち込んでいる。歴史への回帰で旧称に戻す宿もある中で、小さいながらも自分のアイデアを生かした『ぴのん』を別館としてオープン、いち早くバリアフリーへの対応を謳いユニバーサルデザインにチャレンジする姿勢、伊香保では珍しい改革派なのではないか。保守的な伊香保町というイメージが強い私にとって、こういうアクティブな方は素敵な存在だと思っていた。

トラディッショナルな伊香保の宿には憧れがある。中には自社ケーブルカーを持つ宿さえある。しかしもともと伊香保は坂の街で、どちらかといえば古い宿が多いので、車いすには厳しい。ゆきさんプロデュースの『ぴのん』も小ささとデザインが売りの一つなので、玄関が階段である。それでも、現場を一度は見てみたいという気分があって、思い切って訪ねてみることにした。

お会いしてみてゆきさんの人柄に惹かれたし、何よりディパーチャーズ森田監督の同級生、ご本人もスピードスケートをやっていたということでスケートへの愛着もある方だった。『ぴのん』にしろ『松本楼』にしろ、施設はまだまだこれから充実していくところだというが、若おかみが中心となってスタッフも障害者を受け入れてくれる体制がある。『ぴのん』にも夜間入口があって、こちらは狭いながらもスロープがあるので何とかなりそうだ。

スケート、あるいはホッケーについて理解があり、障害者にも理解がある。スレッジプレイヤーはADLがかなり高いので介助の必要なシーンは多くはないが、ヘルプした方がいい時もあるし、こちらから誘導したいケースも少なくはないだろう。何より、まとまった下肢障害者、それもうるさ方が一挙に集まるという経験は『松本楼』でもないだろうし、うまくいかないこともきっとあるだろうとは思う。それでも、これがきっかけとなり他の宿にも波及してくれればいいし、ゆきさん達にも、伊香保温泉街にも、そして現伊香保町・新生渋川市に一層のノウハウが蓄積できればいいと思っている。ホッケーと障害者福祉に縁のある我々なのだから。

伊香保・ホテル松本楼
洋風旅館ぴのん

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.05.24

祇園のエンマ

ふと思い出したことがあって、仕事をしながら探してみた。
京都・祇園のメインストリートに立つ荘厳な建築物、その名は「株式会社エンマ」。

アーケードに視界を奪われ全容を知ることはできないながらも、石造りの近代建築は由来を金融機関と想像することは難しくない。しかもここの企業名「株式会社エンマ」というのがまた重みを増す。閻魔大王の会社・・・?取立てのメチャクチャ厳しい金融会社で、茶目っ気かソフトイメージの訴求でカタカナにしているのかな・・・とか。

京都を歩くときはいつも四条通りを歩くので毎回その店の前を通っているのだが、深夜だったり休・祝日だったりで開いているのを見たことがない。飾り格子と古めかしい厚めの硝子のようだし、そもそも窓の前には大きな掲示板。銀行の入り口あたりにある、商品や企業イメージのタレントの写真なんかが貼ってあるあれがある。その作りもまた銀行跡を感じるのである。いずれにせよ強烈な企業名と中が窺い知れない怪しさで強く印象に残る場所である。

そこで『祇園』『エンマ』というキーワードで検索してみたが、この会社のホームページは見つからない。しかしながら建物の方はいくつかのホームページで紹介されており、やはり歴史ある建築物だったことがわかる。『旧・村井銀行祇園支店』・・・

やはり金融機関の建築物という想像は間違っていなかった。しかし、地銀まで詳しい事はわからないとはいえ、『村井銀行』なる会社の名は思い当たらない。銀行ならば小さくても街の中心街には店舗のひとつもあろうが、京都のオフィス街を歩いていてもそういう看板を見た記憶もない。

村井というと慶応大学の教授だとか、某宗教団体の殺された幹部とかを思い浮かべてしまうところだが、この村井さんとは明治時代のタバコ戦争の一翼であった村井吉兵衛でタバコ事業の国営専業化のあとに興した銀行だという。

村井吉兵衛率いる村井兄弟商会は、両切り紙巻タバコの国産化に成功した会社として産業界に名を残している。特に有名なのは競争相手である岩谷商店とのPR競争であり、この競争から日本の広告が発達したと言われる。明治時代の日本の輸出製品のひとつとして近代日本の礎を築いたという。今に残る同社製品のポスターは西洋の香りと日本の情緒が混ざり合うエキゾチックなものが多かった。

その後村井は前述の銀行や京都瓦斯などを興すのだが、昭和大恐慌のあおりを受けて廃業したという。現在、京都には村井の息のかかった企業の跡が現役の建築物として多数残されている。

ふとした会社名の話から建築、さらには経営史の領域まで広がってしまいノンジャンルな書き物になってしまった。ちなみに、『エンマ』はアパレル関係の会社らしい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)