2005.02.02

ゆうま、空を飛ぶ

群馬県のマスコット、ゆうまちゃんが毎日MSNでやっていた「全国対抗キャラクターコンテスト」で優勝した。

全国の自治体等のマスコットを集め、その人気ランキングを競うもので、12月の1次選考、そして1月後半の2次選考を勝ち残ったのだという。知人のつてで群馬県庁のヒトから投票の呼びかけがあったりしたもので、群馬県はその威信をかけて望んだ戦いだったのだろう。

ゆうまちゃんに限らず、ほとんどのエントラントの経歴を見ると国体等のイメージマスコットとして誕生し、そのまま県のマスコットとして各種イベントのPR活動に参加している。ゆうまちゃんの場合は平成6年に群馬で開催された「ゆうあいピック群馬大会」でデビュー後、各種スポーツイベントのマスコットをしながらスポーツ活動の啓発、県の施策の普及宣伝、県内産業の発展等、県のイメージアップといった役割を持っている。いまや大きな駅やスポーツ施設など、あちこちにその姿が見えるし、県庁ではグッズも売っていたりする。

老若男女に愛される事を目的とするマスコットキャラクターだけにその容姿はかわいらしかったり、コミカルだったりすることが多いが、中には他の何かに似ているような・・・ということも少なくないし、脱力系も多数見られる。そういう意味でゆうまちゃんは独特の雰囲気と中性の面持ちなのである反面、個性も少なく苦戦するかと思いきや、一次・二次ともにダントツだったらしい。

実は2年ほど前、今回のコンテストの審査員の一人でもあったみうらじゅん氏が主催した「ゆるキャラショー」というイベントにもゆうまちゃんは出場した。ゆるキャラとは、氏の命名による言葉で、氏の著作「ゆるキャラ大図鑑」の紹介文から引用すると、

「ゆるキャラとは全国各地で開催される地方自治体主催のイベントや村おこし、名産品などをPRするために作られたゆるーいキャラクターのこと。命名者は”マイブーム”で知られるみうらじゅん氏。本書はそんなゆるキャラを47都道府県を網羅し100体も集めた日本初の図鑑です。見ているだけで癒されます」

ということである。あのみうらじゅん氏のことである、当然ながら氏の「リスペクト」は「オチ」「笑い」がつき物であり、ゆるーいとは、脱力だの間が抜けているだのという意味なのである。最後の「癒されます」は、まさにとってつけたようなおまけで、その実「ゆるキャラショー」の際に各キャラクターの気ぐるみをあつめるにあたり、担当者に説明したときの「解釈」でしかなかったらしい。実際、そのショーでは今回のライバル達が各種の賞を受賞し、ゆうまちゃんはかすりもしなかったらしい。せいぜい「群馬だから馬」くらいのオチしかなかったようだ。

それが今回、大新聞社でのイベントとして実行されるにあたり、本来のエッセンスは大幅に薄められ、純粋なマスコットらしさが勝負のポイントになったようで、結果的に中性のゆうまちゃんの、あのつぶらな瞳が人気を集めたのだろう。もちろん、県をあげての大PR作戦も効を奏したことは間違いない。

県関係からPR作戦が出たと聞き、そのイベントにみうら氏がかんでいる時点で、ゆるキャラの意味を知っていた私は「いいのか?全国の笑いものになるぞ」と心配したものだが、今のところみうら氏の毒々しいコメントもなくお祝いムードとなっているようだ。どうせなら、知事や広報室が大々的にコメントを発してもよいのではと思うのだが、今のところはまだホームページに県の見解は紹介されていない。県庁には巨大なゆうまちゃんバルーンもあるはずで、奉祝ついでにぜひ飛ばして欲しいものである。

群馬のキャラはゆうまちゃんだけではなく、じつは「あかぎ国体」の時には「11ぴきのねこ」シリーズの故馬場のぼるさんがデザインした「ぐんまちゃん」という馬のマスコットもいる(ほんとに馬!!擬人化されているのは顔だけ)のだが、今日では「県勢の概要」にゆうまちゃんと並んで紹介されているだけ。ゆうまちゃんが紹介ページのみならず壁紙のダウンロードサービスに県の広報紙の表紙を飾るまでになっているのとは大違いである。

さらに、去年は、「グーミー&ホーシー」というキャラクターを連れてきたまではよかったのだが、これが「ガンビー&ポーキー」というアメリカのキャラクターにそっくり。あわてて使用を諦めたという経緯もある。

県ではキャラを貪欲に換えたがるようだが、せっかくの優勝を機会に、ゆうまちゃん、ぐんまちゃんを大事にしてほしい。

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2004.03.29

回転扉

週末のほほんと遊んでいる間に、六本木ヒルズ・森タワーでは幼児が回転扉に挟まれて亡くなるという痛ましい事故があったらしい。自動回転式の大型回転扉の場合、あちこちにセンサーがあり、歩みがあわなかったり近づきすぎると自動的に停まる構造になっているはずなのだが、今回を含む相当な事故が実はあったらしい。

今日の大規模建築物の多くは回転扉だったり二重の自動ドアを経由して内部へ入る構造になっている。省エネ対策、気圧の影響、景観づくり、防犯対策、空間効率・・・様々な理由がそうさせている。

森ビルの経営する近所のオフィスビルでも、恐らく今回の回転扉と同一のものが設置されている。ここでは昼時など、人の出入りの激しいときには回転扉を停止させ、真中の壁の部分を通るように作られている。このビルの中にある飲食店はビルテナントだけでなく、我々のような外部の人間もランチには利用することが多いことからそのような運用をしていたのだと思う。しかし六本木ヒルズはさらに多くの、しかも多様な年齢層が集う観光地でもあるから、回転扉としての利用よりも自動ドアの利用法のほうがよかったのではないかと思われる。

事故に対する企業やメーカーの対応はあちこちで批判されることだろうからあえてここでは書かないけれども、回転扉を巡っては個人的に思っていたことがいくつかある。

自動回転扉の多くには、車いす利用者や高齢者の出入りの際に回転スピードを抑えるためのボタンがある。いわゆる「車いすマーク」がついた大型のボタンで、障害のある人でも押しやすそうな構造である。しかし、高齢者や付き添いの人にはそれがなにのボタンなのかわかりにくいのではないかと思う。

ホテルなどではそうした客の来場の際には、スタッフがそっとフォローに入るようなことができるが、一般のオフィスビルだとそうはいかない。六本木ヒルズもそうだが、再開発によって誕生した巨大ビルの場合多くが観光資源としての位置付けも持っているのだが、警備のスタッフは多くてもアメニティのためのスタッフなど早々配置することができないことから、あぶないなあと感じることも多かった。

ビル管理者にとって酔っ払いもまた面倒な客である。シラフの客より怪我や事故の可能性が高い。おまけに客の方はまっすぐ歩けなかったりすると何かにつかみたいという衝動にかられるから、回転扉の壁や扉に触ってしまったりする。また前後不覚の状態では歩く速度も測りかねている。

そんな利用者が回転扉に入ると、すぐに扉は回転を止めてしまう。自動装置が働いてしまうのだ。止まったのがわからず逆に壁にぶつかったりしたことが、一度ならずある。

今回は問題になっていないが、自動ではないうちの会社のビルの手動の回転扉だと、力の加減を間違えると勢いよくまわり過ぎる。入室の際力を入れすぎてしまい急に速度のついてしまった扉にかかとが挟まれてしまうことはよくあるし、自分が反対側から入ってきた人に睨まれてしまうことも何度かある。

東京ドームの観客席の入り口も回転扉だ。ここの場合、天井を膨らますという特殊な構造のため外気よりも少し気圧が高い。そのため回転扉を出た瞬間に猛烈な風邪を感じるのである。あれは何度体験しても怖いものがある。

そんなことを考えていたら、うちのビルの回転扉が「再点検中」になってしまった。点検したところで、あんまり変わらないと思うのだが・・・

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2004.03.22

報恩の鮮度

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昔のえらい人というのは、本当に多くの人が恩を感じるだけでなく、多くの人が後世にその功績を伝えようとする意味で亡くなった後に銅像を作ってもらったりする。しかし、数十年も経過してしまうと、その銅像は誰のどんな功績を称えたものかさえわからなくなってしまう。

この銅像は福島県平市(現いわき市)の民選初代市長の鈴木辰三郎翁である。いなか町といえども国策産業の一つであり近代国家の文字通り燃料であった石炭の採掘地である常磐炭鉱を抱えていた場所であるから空襲にも襲われたという。実際、うちの母親の実家の裏には、防空壕の跡が未だに残っている。母親の実家は中心部からは3Kmほど離れており焼け出されることもなかったが。

鈴木翁の銅像は市内中心街にある平駅のホームを挟んだ裏手の高台にある。翁が復興に尽力した平の市街地を一望することができる。駅の裏は城址であり、その一角には地域を代表する男子高・女子高(いまではそれぞれが共学になってしまっているが)の通学路にあたり、母親も毎日その銅像を見ながら登下校したものだという。

この鈴木翁、実は母方のひいおばあさんの実の兄ということで親戚にあたる。父方の祖父は昭和の大合併寸前の平市で助役を務め、母方の祖父も平市で役人をやっていて、地元の通年型観光資源である競輪場が開設したときの担当課で課長をしていた。そんな話を家族でしていたら、その時の市長って銅像のタッツアブローさんだ、という話になった。

確かに親戚で集まるとよくタッツアブローの名前を聞いていた。きっと昔の親戚のオッサンだろうくらいには思っていたのだが、親戚で市長がいたという認識はなかったので驚き、お彼岸のついでで銅像を見に行くことになった。

銅像の横の顕彰碑には翁の功績が書いてある。三回忌を受けて地元の有志が立ち上がったこと(当時の市の有名どころの名前があるというし、翁の次の市長の名をある。ちなみに文章は他の人が書いたが、顕彰碑の字を書いたのは祖父だ。どこにも名はないが字を見れば祖父の字とわかる。

街でも指折りの景勝地ではあるが、崖の一部を削って用意された専用の場所ということもあり、すでに50年を超える日々がたっているにも関わらず字も消えず、像の痛みも少ないようだ。しかし、現場の前の道は昔ながらの狭い道。駅北側の開発が進み、隣接のJRの用地はいつのまにか駐車場になった。交通量が増えるに従い道路拡張などができた際には、真っ先に移転させられそうだ。

実は父方のひいおばあさんという方の胸像も別な場所にある。このバアサマ、助産婦として炭鉱の多くの子供たちの誕生に立ち会い、多くの母親を助けてきた人らしい。それでこちらは炭住と呼ばれた炭鉱労働者の長屋を見下ろす公園に像が作られたらしい。

しかしながら、この胸像、何度も移転を繰り返してしまっている。公園の中という立地上、自治体による整備計画によくひっかかりどんどん端っこに追いやられてしまったらしい。今では向きも景色も変わってしまった。おまけに台座に彫ってある文字は風化して容易に読むことも難しい。

いまやこのバアサマの碑は、「昔の人が作った、どっかのバアサマのモノ」であり、懐かしむ人も少なくなった厄介者でしかないんじゃないか。何しろ、その街にはうちの関係者ももう誰もいないので、うちの人間ですら滅多なことでは行っていないし、その胸像を作ってくれた人々もほとんど鬼籍に入っているのではないだろうか。

鈴木翁にしろうちのひいおばあさんにしろ、地域に何がしかの貢献をしてきて、それを認めてくれた多くの方によって像を作って頂いている。でも、数十年という月日とともに事情をわかる人も少なくなってきた。あと数十年、建立から100年、建てた人々の親族も、建ててもらった本人の親族ももう経緯もわからなくなってしまうだろう。そうなってしまった銅像は、きっと風化して壊されてしまうんだろうか。

鈴木翁の銅像の土台には、枯れた花がささっていた。遠い親族の功績をしのびながら、未来について想像をすると悲しくなってしまった。

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