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2010.12.06

竹内まりや「Souvenir again」(2010/12/4・日本武道館)(mixi日記再編集)

竹内まりやの10年ぶりのライブパフォーマンス。前回、TFMとFM大阪の開局30周年記念イベントとして行われたのが、「18年と7ヶ月ぶり」だから、前回よりは間隔は狭まったわけだが、「シンガーソングライター主婦」としてのまりやさんの活動ポリシー、そしてプロデューサー山下達郎がバンマスとして、全幅の信頼をおくメンバーをそろえツアーを回るというのは、容易なことではない。 そもそも、達っつあんが毎年ツアーに出ることができなかったのも、「ツアーはアルバムのプロモーション」という音楽界の旧来の考え方に影響されていたと言える。

津田大介氏、牧村 憲一氏の著作「未来型サバイバル音楽論―USTREAM、twitterは何を変えたのか」にもあるが、いわゆるCDアルバムというパッケージ商品が売れなくなったと言われて久しいが、音楽業界そのものの収支構造が大きく変わろうとしている中、興行とそれに付随する物販がアーチスト(及びマネジメント)にとって重要なビジネスモデルに変貌しつつある。

山下夫妻の所属事務所であるスマイルカンパニーは、彼らのRCA/AIRレーベル(RVC社)所属時代のディレクターだった小杉理宇造氏が代表を務めており、その小杉氏がRCAから独立して設立したMoon(当初はAlfa/Moon)レーベルに夫妻も所属。後にMoonはワーナーミュージックジャパンに吸収され、小杉氏は会長を、そして山下達郎も一時期取締役として名を連ねた経緯がある。山下夫妻がMoonを離れることはない(事実上Moonは山下家のプライベートレーベル化している)だろうし、スマイルが当面ツアーグッズで増収を図ろうなどという営業方針は取らないだろうけれども、、今年のPerformance2010ツアーにおいて、「アルバムとツアーを切り離して、今後は好きなときに好きな曲を中心としたセットリストを組んで毎年ツアーをしたい」と達っつあんは宣言していた。

まりやさんは、結婚以来その達っつあんのレコーディングやツアーの合間に自分の作品を書き溜めて、スケジュールが空いた時にレコーディングをし、アルバムを出すというスタンス(本人曰く「不器用な生き方」)だが、今年のツアーは39本と若干規模を抑えたこともあり、ツアー終了後からリハーサルに入ったと聞く(逆に、プロデューサーとしての山下達郎はこのステージを意識して自身ののツアーを抑えたのかもしれない)

その10年前のパフォーマンスも武道館の2階から見て(なおかつライブ盤には私の奇声が入っている・・・)いるのだが、まりやさんの歌自体はPerformance2007-2008の中野サンプラザで最前列から拝聴させていただいているし、RCA/AIR'Sスペシャルの時にもお出ましになっている。しかし、今回はアリーナ席。ライブの相方・K氏のここ2年のチケット運は本当についているとしか言い様がない。今回も前から12列目、難波先生とまりやさんの立ち位置の中間という、最高の場所。 

はじめてアーチストとしての竹内まりやを意識したのは、恐らく「けんかをやめて」と「元気をだして」の作者としてだと思う。80年代前半、小学生として憧れたアイドル、河合奈保子と薬師丸ひろ子への提供作品だ。

そして、自分がはじめて竹内まりやの作品を買ったのが、その2曲をセルフカバーした超ロングセラーアルバム、「REQUEST」である。その後、Moonレーベルから発売された全作品はすべては持っているし、まりやさんのデビュー30周年記念ベスト「Expressions」でRCA時代の作品も聴いている。

私の記憶の中で竹内まりやという名前と楽曲が合致したのは、「セプテンバー」や「不思議なピーチパイ」だが、彼女のデビューシングル「戻っておいで・私の時間」は我が家御用達だった伊勢丹のCMソングだから、聞き覚えがある。ほぼ、まりやさんの32年のキャリアを知っていることになる。

達郎ツアー同様に、会場は40代から50代のオーディエンスが大半で、70代以上の方もいらっしゃったようだ。たぶん、NHKドラマの「だんだん」や「Denim」でまりやさんを好きになった、共鳴したというファンの方からすると知らない曲が多かったかもしれないが、RCA時代、そして80年代のナンバーをちりばめてくれた今回のセットリスト、大いに堪能した。30代(といってもアラフォーですが)の我々、会場では若輩であるが、まりやファンとしてのキャリアは20年を越えているわけで。

今回のイベント、オープニングアクトを初日はまりやさんの学生時代の先輩であり、ナイヤガラ人脈の一角である杉真理のBOXが、二日目はデビュー前にまりやさんがツアーに回り、初期作のレコーディングメンバーであるセンチメンタル・シティ・ロマンスが務めた。センチというバンドはもちろん知ってはいるが、実はほとんど楽曲を聴いたことがなく、「Denim」収録の「シンクロニシティ(素敵な偶然)」のPVではじめて演奏を聴いたようなもの。日本のポップ系バンドでは、スティールギターを多用する珍しいバンド、くらいの認識しかなかった。キャリア38年、しぶとく生き残っているアーチスト。懐かしい感じのするカントリーテイストの楽曲で心地よい時間を過ごした。

それにしても、思い返せば武道館でライブを見たのは、その10年前の「Souvenir」が最後だった。アリーナ席となると、学生時代のE.クラプトン以来ということになる。

武道館はビートルズが日本で唯一パフォーマンスをした場所、ディープ・パープルが伝説のライブを残した場所として、ロックを志す者にとっては特別な思い入れがある。センチのメンバーも、ビートルズがこの会場でコンサートをやらなかったら、ここでコンサートするなんてことはなかったのだろう、とMCの中で語っていた。

ビートルズ来日に際しては、保守派の論客がネガティブキャンペーンを展開したわけだが、しかし、彼らが登壇したテレビ番組は日本テレビ系であり、ビートルズを招聘したのは親会社の読売新聞社であるから、今にして思えば、あのキャンペーンも読売グループの宣伝戦略であったのではないか、と思わなくもない。かくして、ビートルズの後、数多のアーチストがコンサートホール(あるいは「ライブハウス」)として公演を行い、多くの日本のミュージシャンが目指す聖地となった。

しかしながら武道館は常設ホールではないし、何と言っても床が板張りだから、バスドラの音が仮設ステージから会場全体に共鳴する。天井も高いし、独特の音場になる。正直、音がよい場所ではない。音にこだわる山下達郎は絶対自身はパフォーマンスしない、と断言してきた場所である。

その達っつあんも、10年前のまりやさんのコンサートで武道館のステージに立ち、10月末のワーナーミュージックジャパン40周年記念コンサートでは、自身のキャリアで初めて、武道館でパフォーマンスを行ったわけだが、直後のサンデーソングブックでは音質云々を別として、可動式の椅子や、1、2階席の古く堅い椅子でのリスニングでお客さんが大変だ、という理由をあげ、単独では武道館でのパフォーマンスはしないという趣旨の発言を再びしていた。

今回の竹内まりやのコンサートもまたプラチナチケットである。山下達郎のチケットも入手が難しいが、場所と回数を重ねているので見る側も工夫をすれば公演を見ることは可能かもしれない。しかし、竹内まりやの場合はそもそもコンサート頻度が低いため、音は妥協してでもある程度キャパシティを確保できる場所でのパフォーマンスが求められる。

そういえば、達っつあんは音に拘るが故に、ギターもマイクもワイヤードのものを使うが、まりやさんは今回ワイヤレスマイクを使用していた。できるだけステージの端まで行って、1階席、2階席の観客のそばに行きたいという想いがあるからだと思う。まりやさんはファンと直接会うためのコンサート、という趣旨のコメントを繰り返していた。実はこれ、10年前にも繰り返していたと思う。

売れなくて地を這いずっていたシュガーベイブからRide On Timeまでの山下達郎と異なり、竹内まりやはアイドルに近いプロモートをされており、そこそこのヒットもあった「売れっ子芸能人」シンガーだった。しかし、本人のプレイしたい音楽と現実のギャップの中で悩みぬき、「寿休業」ということでその活動を一端ストップする。アイドルに恋愛はご法度であり、結婚は引退と一意だった80年代の日本のミュージックシーン。本人が好まずともアイドルにちかいマネジメントの中での活動であったから、これはある種の掟破りと言えた。

しかし、活動休止前からアン・ルイスへの楽曲提供(アン・ルイスもまた、プロモートと本人の希望のギャップに悩んでいたシンガーだった)などで作家としての評価もあったまりやさんには、多くの作り手が楽曲提供のオファーをし、本人が望んでいた通りの活動を30年近く続けることができた。そのこともまた、まりやさんは何度も語り、達郎をはじめとする周囲のスタッフ、ミュージシャン、クライアント、そして彼女を支持してきたファンへの感謝の言葉が何度も繰り返された。

こういう活動もあり、ということを日本の音楽界にも、リスナー界にも示してくれたまりやさんにこそ、私はお礼の気持ちでいっぱいなのだが。

それはそうと、武道館の音の悪さ、というか癖というべきなのだろうが、実はセンチのパフォーマンス中に、バスドラの共振を感じていた。このブログでも賞賛している小笠原君の手数の多いパフォーマンスでは、相当低音が響くのではないか、そう予感していたのだ。 しかし、そこは夫妻の絶大な信頼のある小笠原君。いつもよりも一層慎重なドラミングをしていた。

そして、会場のPAは完全に竹内まりやにフィットしていた。 日本有数のセッションミュージシャンを武道館に集めた状況で、まるでアルバム「Souvenir」のように、まりやさんの声を中心とした、バランスの取れたサウンドを堪能することができた。ここが武道館であることを忘れるような音であった。

10年前というと、まだ会場の照明はかつてのバリライトを彷彿とする巨大なものだったし、PAスピーカーはすでに吊り下げ式ではあったが馬鹿でかい、という印象だったのだが、近年のPAテクノロジーは大きく向上している。恐らくデジタルエフェクトで調整しているのだろうけれど、日本屈指のスーパーミュージシャンの超絶プレイをバックにした竹内まりやのボーカルは、とにかく伸びがよく、際立っていた。

記憶が薄くなってはいるけれど、少なくとも武道館でのライブは1989年1月のオフコース以来、5回以上来ているはずの自分の耳の中で、今回の武道館のPAアウトの音はベスト!

・・・であるが故、センチのパフォーマンスはちょっとボーカルが弱くなってしまっていたような気がする。

センチとまりやさんのステージの合間の20分のインターバルの間に、ステージはいつものメンバーの楽器がセッティングされていく。会場に貼られたポスターは、10年前、山下家中のギターを弾き比べてチョイスしたという傷だらけのテレキャスターを手にしたまりやさんの写真が採用されていた。たぶん今回もまりやさんはテレキャスターを手にするだろう、ということは想像がついた。

そして、ローディーがチェックする佐橋佳幸のギターに見慣れないものが。

リッケンバッカー!

ということは、リバプールサウンドをイメージしたアレもある、ということだろう。かくして予想通りまりやさんはテレキャスターを手に登場。さすがに弾き語りは久々だろうからちょっと歌いにくそうではあったが、声は10年前よりも出ている印象。

10年前の黒い衣装も素敵だったが、今回の白いワンピースも上品。序盤重ねて着ていたラメのブラウスもキラキラしていて、まぶしかった。

本当に、まりやさんは変わらない。50代らしいしぐさも時折あるけれど、リアルで拝見している10年前と少しも変わらない。神々しい、ディーバだ。

トークは長めで、ゆったりとした時間。10年という時間をかみしめながら、今回はじっくりと2時間のパフォーマンスを堪能した。30年前のRCA時代のまりやさんが好きな楽曲も少しも色あせていないし、今年の発表作品ではこのメンバーならではのジャジーなフィーリングを堪能した。

今回は、難波弘之、柴田俊文のツインキーボードに加えバンマス用(機種不明)、さらにはスタレビの名キーボーディストであった「白一点」男性コーラスの三谷泰弘のポジション横にもヤマハのMOTIFが並ぶ、キーボード好きにはうれしい状態。さらに佐橋クンの横にはスティールギター(センチが演奏したあの曲だけではなく、数曲で使用)。佐橋クンはいつもの佐橋モデルのテレキャスはもちろん、久々にレス・ポール、マンドリンも出してきた。

コーラスの国分友里惠、佐々木久美のご両人の登場パートも多く、うれしい感じ。どうしても山下家はシーケンサーは極力使わないが、テープ遣いではある。特徴的な多重ダビングのセルフコーラスが印象的な楽曲が多いので仕方ないのだが、超強力なコーラス陣との絡みもレコーディングとは違った楽しみがある。

もちろん、伊藤広規のベースはいつも通り心地よく、土岐英史がおいしいところを持っていく。メンバー最年長、今年一年は「還暦」をネタにされ続けてきた土岐オヤジだが、今日のMCでは愛娘、土岐麻子嬢のこともまりやさんが紹介していた。また、サハリンこと佐橋クンの紹介は、まりやさんも見たシュガーベイブのイベントに彼もいたことを紹介し、様々な縁がつながって今日がある、ということをおっしゃっていた。

「Denim」の頃から、まりやさんは人生とか、縁とかというキーワードをしきりに口にするようになってきた。50代に入り、子育ても一段落して浮かんだ思いがたくさんあるのだろう。まだまだそういう境地にはいたらない若輩者として、達っつあんもそうだけれどまりやさんの言葉は、将来の自分への宿題だなと感じる。あんな素敵な50代になりたい。しかも、老いも枯れも感じさせないんだから、二人とも!

今回もTOKYO FMとFM大阪の開局40周年記念イベントであり、同じく上陸40周年を迎えたケンタッキー・フライド・チキンが特別協賛と言う形で実現した「Souvenir again」。この後は達郎の新作制作と、リリースを延期しているニューアルバムの仕上げがあるわけだが、達っつあんの構想としては毎年ツアーに出ることになっている。同時に、恐らくこのパフォーマンステイクの中からライブアルバムのマスタリング作業も行われることだろう。 今回、アリーナ最後列には照明、PAに加え、レコーディング卓もセッティングされていた。レーベルとしては貴重な音源である。今回もまたライブアルバムと言う形でこの感動を振り返ることができるのではないかと期待する(しかし・・・達っつあんの「JOY2」はいつになるのやら・・・)。

まりやさんは自分自身のペースと達郎のスケジュールを優先させたい、と言っていたが、ファンとしては今回のパフォーマンスなら、5年、10年といわず達郎ツアーのエクストラバージョンとして、まりやさんのライブもぜひ聴かせてもらいたいと願う次第。

P.S:アリーナ席でお手製のうちわを持ち込んでいたファンの方。親ジャニーズ系アーチストである夫妻なので全然OKなのだが・・・「まりや」ですから!!

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