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2010.10.31

那智さんを悼む(mixi日記再掲)

野沢那智さんが亡くなった。

私達のちょっと上の世代だと、白石冬美さんとの「ナッチャコ」パック・イン・ミュージックということになるだろうけれども、私はパックには間に合っていない。

アラン・ドロン、ブルース・ウィリス、アル・パチーノ、ダスティン・ホフマン、そして山田康雄さん亡き後のクリント・イーストウッドなどの吹き替えを担当されていた方だから、TVで放送される洋画でお声を聞く機会は多かったし、スターウォーズ旧三部作(EP4-6)のC-3PO役としても有名。

また、幼年期から親しんできた「チキチキマシン猛レース」では実況アナウンサー役でブラック魔王(CV:大塚周夫さん)との掛け合いが面白かったし、寺沢武一作品のコブラの印象、さらに日本におけるCGを使った本格的劇場アニメーションのさきがけと言われる「SF新世紀レンズマン」では主人公にしばし示唆を与えるウォーゼル役の印象は強く残っている。

「レンズマン」は小学校時代に劇場まで見に行った数少ない劇場アニメーションだったから特に印象は強烈なのだけれども、ウォーゼルという役はスターウォーズ旧三部作におけるオビ=ワン・ケノービに近い。ニヒルな面がありながらも、主人公を支える重要なポジションだった。

C-3POや「チキチキの実況」とはまったく違う、凄みを感じる演技だった。

日本の映像コンテンツ、特に洋画吹き替えを支えてきた声優さんの多くは、「食えない俳優」達で、好むとも好まざるとも日本のテレビを支えてきた裏方の人々だった。

特に那智さんや山田康雄さんは、「声優である前に俳優であれ」というポリシーを強く持っていた人だった。

演者であるオリジナルの俳優がどういうスタンスで演じているのかを考えて、吹き替えをどう組み立てていくか、そして単なる身代わりではなく、役者として自分の個性を声だけという限られた条件で出していくのか、ということに取り組まれてきたといえる。

だから、稽古、中でも演出家としての野沢那智は、全盛期の蜷川幸雄同様に鬼の形相だったという。近頃の蜷川先生はおじいちゃんになってすっかり丸くなったと言うが、後進は皆、那智さんには徹底的に絞られたらしい。

中学・高校の放送部活動の一環で「放送劇」というものを、東京の有力私学の女子中高で取り入れていて、それを見たときに「これは放送部じゃなくて、演劇部じゃないか」と私は思ったものだった。

しかし、放送部の表現として朗読やラジオドラマというものがある以上、放送部であっても演技は必要な技術で、それを突き詰めれば演劇に行き着く。

これは大学時代、自分がディレクターとしてラジオドラマを、挫折したがビデオ作品の監督として創り手としての目線を体感した中で、演者の技量も、そして演出者としての私の技量も足らなかったという思い出の中で、那智さん達の言葉を認識させられた。

そんな那智さんの声が聞けない。山田さんや、あるいは名DJ、城達也さんが亡くなったときにも感じた空虚感を覚える。

那智さんも山田さんも、二人とも私が好きなアクターであるイーストウッドのアテレコを担当したということもあるけれども、日本語による洋画、外国人が日本語をしゃべるというシチュエーションは日本の声優さんの第一世代の人たちが作り上げてきたものだ。

その人たちが俳優としての力を振り絞り、プライドを持って作り上げてきたものを、私達は普通に楽しんできた。

今年は田の中 勇さんが亡くなり、青野武さんが脳梗塞で持ち役を降板されたりしているし、これからどんどん、第一世代の声優さんの訃報を耳にすることになるだろう。

名優達の声の名演技、これが永遠に残るかというと、権利関係もあるしアナログマスターの劣化という避けられない問題がある。映像はデジタルリマスターされるかもしれないが、近年はオリジナル主義で吹き替えをヨシとしない風潮もあるし、新たなキャスティングで再録される可能性も高い。

実際、那智さんじゃなきゃという声がファンだけではなく日本の関係者にも強かったC-3POも、新三部作では那智さんは起用させてもらえなかった。本国の力が強くなればなるほど、日本でできる味付けは少なくなってしまうわけで。

なんともいえないんだけど、那智さん、ありがとうございました。

こうとしか、言葉が思い浮かばない。

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2010.10.19

山下達郎 Performance 2010(2010/10/18・大宮ソニックシティ)

一昨年暮から昨年春にかけてツアーに出ていた山下達郎が、2010年もまたツアー中。

かつては当たり前にアルバムのリリースと共にツアーをしていた彼だが、そもそもアルバムが寡作となり、ツアーに出る口実も少なくなっていた。そうこうしているうちに、今や重実徹センセはMISIAのプロデューサー、バンマスとしてご多忙だし、青山純さんも体調が心配された時期もあったし、「松さんのご主人」佐橋佳幸氏(・・・というか、永年の癖で、以後は佐橋クンと書かせていただく。年長者だが・・・)は、とにかくスケジュールを押さえるのも大変。

そんな状態の中、達っぁんの大阪のホーム、「大阪フェスティバルホール追善公演」という意味合いが強かった前回ツアーから、アオジュンさんに代わるDsとして起用されたのが小笠原拓海クン。20代の若手ながら山下洋輔氏にも可愛がられているテクニシャン。そして、重実さんに代わる2ndKbとして(そもそも、重実さんが2nd、ということ自体贅沢なんだが)加入したのが柴田俊文氏。

このメンバーでしばらく固定したい、と前回ツアーで話をしていた通り、同じメンバーではじまった2010年のツアー。デビュー35周年にあわせ35本(追加があり、サンキュー、ということで39本ということになった)と少ないこともあり、群馬は素通り、北関東は宇都宮のみ。

17年にわたる私の「相方」にして最強のチケット手配師であるK氏。地元では数少ない町内会の若手・・・いろいろ言い方あるらしいが、面倒なのでこれで許せ・・・でもあり、祭りの時期はどうしても身動き不能。こちらも中間決算期に大きな動きは取れない。

遠征はK氏の祭り翌日にあたる10月18日大宮一本勝負。

「8列目なんでよしなに」

K氏は、達郎FC会員であることと、20年以上のチケットぴあ会員である以外、ただのサラリーマンなので、特別なコネとかそういうものではない。まったくもって彼の強運のおかげだけで、ここ2回のPerformanceを最高の場所で見させていただいている。

K氏は、業務上の研修が入ったとかで遅れて会場入りするということで、今回は先に会場入りさせてもらった。ソニックシティは仕事で小ホールには来たことがあるが、大ホールは初めて。パンフを買って、座席表を確認する。

・・・どまんなかなんですけど。前回ツアーの中野サンプラザでの最前列も強烈(1m前に竹内まりや!!!!)だったが、今日は自分のまっ正面にブームスタンドが。57歳のオッサンを目の前に緊張するアラフォー男(爆)だって、ずーっと目が合っちゃうんだもの。はやくK氏がこないものか。隣の空席、こういう時目立つんだよね。

オープニング3曲を終えてMC中に、K氏がようやく席に誘導されてきた。「今ご到着で」案の定達っあんに突っ込まれるK氏。おいしいぞ、キミ。

前回のツアーあたりから、達郎のツアーでも客席から野次が飛ぶようになってきた。達っあんと同世代、というか我々より上の先輩方なのだが、もともとの客層が高い山下達郎の上、4年前の吉田拓郎、南こうせつの「つま恋」で昔を思い出した人が増えたのが原因じゃないか、と思うのだ。年長者が積極的に煽ってくると、この空間では若輩もんである我々は、ついつい萎縮する(爆)。美里のツアーなんぞじゃ、積極的にこっちが煽り役をやったもんだが。

達郎のツアーといえば、終盤まで座席に座ってじっくり聴く、そんなスタンス。スタートから立ち上がれと煽るタイプのミュージシャンじゃない。こちらも、PERFORMANCE '98-'99からのオーディエンス。本数はたぶん6本目だと思うのだが・・・

ところが今回は、1曲め(これが、大定番じゃないんだな!)からコーラス、そして佐橋君達からクラッピングを求められる。あれ、いつもよりノッてもいいのかしら?

今日のパフォーマンス、終始達っあんもすごく笑顔だったし、メンバーもリラックスしている感じ。特に「1975年のシュガーベイブを再現」という初期作品の演奏は・・・リアルタイムでシュガーベイブを聴きたかった!と改めて思うような内容。

たぶん、実際は今の個々のプレイヤーの技量によるものが加わり、オリジナルメンバーのパフォーマンスよりはるかに高いと思うのだが、とにかくかっこいい。

実は達郎ソロデビュー作である「CIRCUS TOWN」は、あまり得意なアルバムじゃなかった。今回のMCで達っあんに「ライブは予習するもんじゃない」と説教されたが、予習どころか復習を欠かさない我々である(笑)

その復習(RCA/Airs SPECIALのFMオンエア音源)によってようやっと耳になじんできたところなのだが、個人的にはそのレコーディング期の最先端のNYのアレンジ、あるいはRCA/Airs SPECIALの時よりも、今回の「1975年のシュガーベイブ」の泥臭さのあるアレンジのほうが、完璧にはまった感じを受けた。

たぶん、その印象はアレンジだけの問題じゃないんだと改めて思う。今回、達郎を含めたメンバーの一体感、ソロアーチストのツアーではあるが、確実にステージは1つのバンドとしての結束のあるパフォーマンスを見せてくれた。それが前回のツアーと今回のツアーの最大の違いであり、印象の違いなんだろうと思う。

小笠原君は「お披露目」だった前回ほど前面には出てきていない(それは、自分と小笠原君の間に達っあんがいたせいかもしれないが)が、音は間違いなく小笠原君自身の音だった。柴田さんも、メイン機材はハモンド(そういえばオーバーハイムは今回ほとんど触っていないような・・・)で、小笠原君に負けない指テクを見せた(一度難波先生とハモンド対決していただきたい!)。

佐橋クンは相変わらずソリッドなギターを奏でているが、バックミュージシャンという感じじゃなかった。佐橋クンのギターは、何だかんだで17年見ているわけだが、今までで一番、自分の音を主張している感じがした。

それはなんといっても山下達郎自身にもいえていて、随所で本人のギターソロがフューチャーされていた。本当に全員が乗っているライブ。メンバーの距離感が従来にもまして近く感じる。

佐橋クン、付き合いの長い柴田さんはもちろん、メンバー最年長の土岐オヤヂ(とうとう還暦を迎えたそうだ。めでたい)にも積極的に煽るし、Choの佐々木久美さんと寸劇じみたことをやっている。「アトムの子」の合間の「余興」では、柴田さんも堂々とフリに加わっていた。

そして・・・今回、4人目のChoとして、佐橋クンもずいぶんと歌っている。これまでもマイクをたてていたけれど、こんなにも佐橋クンが声を合わせたのは、達郎のツアーでは初めて見たような気がする。

今のツアーバンドは、21世紀のシュガーベイブ、と言えるのではないか、というのが今回のパフォーマンスを聴き終えての感想。それだけの完成度がありながら、ステージのメンバーが楽しくプレイしている(もとからそうだったが、今回は特にそれを強く感じる)。だから、達郎も終始笑顔だし、今回のパフォーマンスも57歳を一切意識しない力強いものだった。たぶん、1975年に彼がやりたかった世界が、ようやっと2010年に出来上がったのか。

まだ、Moonレーベルの初期の頃の楽曲は(定番、新譜以外)レパートリー化されていないというが、このメンバーのレパートリーがドンドン増えていくのが楽しみで仕方ない。そして、このメンバーで制作されている次期アルバム、来春までお預けということだが、本当に待ち遠しい。

「どうも東京は評論家と評論家みたいなのがいて・・・」という達っあんのMCを聴いて、思わずギクっとしてしまうが、まさに素人評論家じみたブログになってしまったが。。。

終盤、お約束中のお約束、「Let's Dance Baby」の「クラッカーコーナー」。いつもドタバタして、買ったのに持ち忘れたり、タイミングを外し鳴らせなかったりという悲しい経験を生かし、今回はしっかりと準備。最高のタイミングで、達っあんの眼前でK氏と二人、鳴らすことに成功!!

(今回は紐も出るけど、とびちらないもの。片付けは迅速かつ確実に、ホールにご迷惑をおかけしないよう配慮しております!!)

「君達(オーディエンス全体)もしつこいね」たぶん、これは各公演で達っあんが言っているMCだと思うが、その「君達」と言った彼の目は、間違いなく我々付近に来ていた(爆)

ええ、今回は気合い入れて会場入りしましたもの。でも、ステージの気合いに負けて、きもちよーく楽しませていただきましたです。

そういったご褒美でしょうか。これまた達郎のツアーの定番グッズであります「ミニタンバリン」が頭上に落ちてきたではないか!!

ゴールキーパーの本能か意地か。全身で、しかと受け取らせていただきました!!

我が家の家宝でございます!!

実は1回勝負のつもりが来月の追加公演(NHK)、そして12月のまりやさんの10年ぶりの武道館、とこのメンバーのプレイを今年もあと2回見られる。

繰り返しとなるが、スーパー手配師K氏のお手並みのなせる業。自分では昔からどうもチケ取りが下手で・・・

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