« 自転車遍歴1~マイ・チャリブーム突入を記念して | トップページ | 自転車遍歴3~典型的な児童 »

2006.11.09

自転車遍歴2~幼年期のチャリンコ暴走族

本当はパート1は昨日書いていたのだが、ココログのメンテにひっかかりUpできなかったので2稿連続の投稿。

(1)補助輪が外れた頃

自転車に乗れるようになったのはたぶん3歳くらいではないかと思う。三輪車はいとこのお下がりだったのだが自転車はたぶん新車だったと思う。当時乗っていたのは「トシマ」の14インチ。チェーンカバーに14、と数字があったのを覚えているのでそうに違いない。

「トシマ」は現在親会社の豊島製作所に吸収されているが、三輪車やペダルカーなど、小児用乗用器具メーカーとして健在のメーカー。

この当時の男児用自転車というと「仮面ライダー」自転車が定番であるのだが、特撮モノが怖かった当時の自分は仮面ライダーやゴレンジャーは好きじゃなかった。同世代の女児用自転車だとアイドルコラボレーション商品のさきがけといわれる「ドレミ マリちゃん」(天地真理)なのだが、おさがりじゃないのでこれもなし、ということでプレーンな自転車になったと思われる。

この14インチに補助輪をつけて、当時住んでいた市営住宅の周りを走るのが日常だった。補助輪外しの訓練には、フレームとリアフェンダーの間に木材を差し、親父が後ろから走って支えていた。補助輪が外れた後も、しばらくは支え棒がついていたので、ちょっとした族車である(笑)

この自転車は後に弟が長く使っていたが、不要自転車回収が団地で行われた際に処分となったが、兄弟の幼年期を支えてきた補助輪の片方は、今も実家の玄関のストッパーとして活用されている。

(2)クッションバイクで赤坂爆走

昭和52年、父親の仕事の関係で福島・いわき市から東京・赤坂へ。幼稚園に入園した私に両親から当時としては最先端の自転車がプレゼントされた。ヤマハ発動機製「クッションサイクル20」であった。親戚にヤマハの社員の人がいて、安く手に入れられたらしい。

クッションシリーズについてはヤマ発でも公式HPなどはないのだが、岐阜の原付&自転車ショップのCS高井さんのHPに昔のカタログが掲載されている。オレンジ色のが自分の乗っていたものそのもの。個人的には当時緑色が大好きで、自転車も緑色が欲しかったのだがサイズが少し幼稚園児には大きかったようだ。

今ではショックアブソーバー付の自転車など珍しくもなんともないのだが、昭和50年前後の日本にはBMXなんていうなんて言葉はなく、あくまで「オートバイをモチーフとした自転車」として発売されたもの。聞くところによるとクッションシリーズは世界ではじめてショックがついた自転車、とも言われているようだ。

そのクッションバイクで大名屋敷の名残である桧町公園の池周辺や乃木神社、赤坂名物の急な坂、六本木の裏路地や青山1丁目方面を走り回っていた。

カヤバ製のショックの効果は絶大で、後に友達から借りたBMXなどと比べても非常に乗り心地がよかったのだが、いかんせん自転車としては重すぎてウイリーもなかなかできないような代物。アップ気味のハンドルと20インチというサイズが仇となりBMXとしては取り回しがきわめて悪かった。でかいフェンダーもついていたし・・・

3段変速のコンポを後付してもらったのだが、当時はAT型5段変速全盛時代。時々乗ってはいたのだが、最後はやはり処分してしまった。

今となってはオタカラでありちょっと後悔。

(次回に続く)

|

« 自転車遍歴1~マイ・チャリブーム突入を記念して | トップページ | 自転車遍歴3~典型的な児童 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 自転車遍歴2~幼年期のチャリンコ暴走族:

« 自転車遍歴1~マイ・チャリブーム突入を記念して | トップページ | 自転車遍歴3~典型的な児童 »