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2004.05.24

祇園のエンマ

ふと思い出したことがあって、仕事をしながら探してみた。
京都・祇園のメインストリートに立つ荘厳な建築物、その名は「株式会社エンマ」。

アーケードに視界を奪われ全容を知ることはできないながらも、石造りの近代建築は由来を金融機関と想像することは難しくない。しかもここの企業名「株式会社エンマ」というのがまた重みを増す。閻魔大王の会社・・・?取立てのメチャクチャ厳しい金融会社で、茶目っ気かソフトイメージの訴求でカタカナにしているのかな・・・とか。

京都を歩くときはいつも四条通りを歩くので毎回その店の前を通っているのだが、深夜だったり休・祝日だったりで開いているのを見たことがない。飾り格子と古めかしい厚めの硝子のようだし、そもそも窓の前には大きな掲示板。銀行の入り口あたりにある、商品や企業イメージのタレントの写真なんかが貼ってあるあれがある。その作りもまた銀行跡を感じるのである。いずれにせよ強烈な企業名と中が窺い知れない怪しさで強く印象に残る場所である。

そこで『祇園』『エンマ』というキーワードで検索してみたが、この会社のホームページは見つからない。しかしながら建物の方はいくつかのホームページで紹介されており、やはり歴史ある建築物だったことがわかる。『旧・村井銀行祇園支店』・・・

やはり金融機関の建築物という想像は間違っていなかった。しかし、地銀まで詳しい事はわからないとはいえ、『村井銀行』なる会社の名は思い当たらない。銀行ならば小さくても街の中心街には店舗のひとつもあろうが、京都のオフィス街を歩いていてもそういう看板を見た記憶もない。

村井というと慶応大学の教授だとか、某宗教団体の殺された幹部とかを思い浮かべてしまうところだが、この村井さんとは明治時代のタバコ戦争の一翼であった村井吉兵衛でタバコ事業の国営専業化のあとに興した銀行だという。

村井吉兵衛率いる村井兄弟商会は、両切り紙巻タバコの国産化に成功した会社として産業界に名を残している。特に有名なのは競争相手である岩谷商店とのPR競争であり、この競争から日本の広告が発達したと言われる。明治時代の日本の輸出製品のひとつとして近代日本の礎を築いたという。今に残る同社製品のポスターは西洋の香りと日本の情緒が混ざり合うエキゾチックなものが多かった。

その後村井は前述の銀行や京都瓦斯などを興すのだが、昭和大恐慌のあおりを受けて廃業したという。現在、京都には村井の息のかかった企業の跡が現役の建築物として多数残されている。

ふとした会社名の話から建築、さらには経営史の領域まで広がってしまいノンジャンルな書き物になってしまった。ちなみに、『エンマ』はアパレル関係の会社らしい。

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